2010年10月12日火曜日
隠された宝
推薦のことば:欧米の神学を学び、欧米の神学で聖書を教えるしかなかった神学者や牧師たちに、日本の教会や信徒たちは育てられてきた。私自身、欧米流の合理主義の教育を受け、合理的なものが真理であるという思考回路で、プロテスタント信仰を培ってきた。
人間は、長年、知識、体験、儀式、習慣を積み重ねてくると、固定観念が出来上がり、頑固になり、それに気づかず、大変窮屈な世界を築いてしまう。プロテスタント神学も例外ではないと思う。しかし、その窮屈さに気づくことはできるが、自らそれを打ち破ることは難しい。ただ、合理主義の窮屈さを、合理的に説明するだけで、それ以上のことはできない。なんとも、もどかしいことだ。
多くのプロテスタント信仰者にとって、聖書を知るとは、知的に理解し、論理的に説明することである。しかし、実践して体験的に知ることは重視されていない。聖書を知的に理解し、解明し、説明することには慣れているが、最初から「実践的に考える」ことには馴染んでいない。理解し、説明できればそれでほぼ終わりである。それゆえ、パウロが体験しているような、キリストによって新しく創造されたという実感がないのだ。
この書は、もう一度、欧米のキリスト教を経ないユダヤ人の唯一神信仰に戻ることの大切さを教えてくれる。聖書の背景にあるのはユダヤ教であり、イスラエルの歴史と文化と言語だからである。そして、キリストも使徒たちもそこに生きたユダヤ人だからである。
本書に、ピルケ・アボットというユダヤ文献の教訓が紹介されている。「学ぶために学びたいなら、神は学ぶ機会を与え、他者に教えるために学びたいなら、学ぶ機会と教える機会を与えてくださる。学んだことを実行するために学びたいなら、神は学ぶ機会と教える機会、学んだことを実践する機会を与え、さらに賞与として天に置ける永遠の命を与えてくださる。」
本書は、賞与をいただける道を示している。それが「隠された宝」の発見である。今まで感じてきた聖書理解の窮屈さ、もどかしさを破ってくれると期待できる。ただ、この書も、知的理解で終わるのではなく、実践することを念頭に読んでいかなければならないが。(キリストの栄光教会 牧師 川端光生)
■ 著者紹介
ヨセフ・シュラム(Joseph Shulam):1946年ブルガリア生まれ。48年家族と共にイスラエルに帰還。16歳の時にイエス・キリストを信じ受洗。単身米国に渡り、高校、大学(Michigan ChristianbrCollegebrbrRochesterbrCollege)、神学校(David Lipscomb College)を卒業。イスラエル帰国後も、ヘブライ大学(第二神殿時代ユダヤ思想、聖書考古学)とユダヤ教神学校(Diaspora Yeshiva)で学ぶ。72年エルサレムにメシアニック・コングリゲーション(ユダヤ人キリスト信者の教会)「ネティブヤ」を設立。著書に、ユダヤ的視点に立った、ローマ書注解、使徒の働き注解、ガラテヤ書注解(いずれも未邦訳)など、執筆多数。
■ 書籍概要
著者 | ヨセフ・シュラム | |
価格 | 1,470円(税込) | |
出版社 | イーグレープ | |
発売日 | 2009年10月19日 | |
ページ | 192 | |
サイズ | 18 x 13 x 1.8 cm | |
ISBN-10 | 4903748308 | |
ISBN-13 | 978-4903748306 |
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 コメント:
コメントを投稿